未来と助動詞

willとshallが表す未来

前回のブログ記事「時制とアスペクト」において助動詞はwillやshallだけでなく、そのほとんどが未来のことを表すと述べました。このことを説明するために、まずは助動詞willとshallが表す未来について解説します。伝統的な英文法において、willとshallは共に未来を表す助動詞として列挙されていますが、willに比べてshallの方がはるかに難解です。それゆえ、最初はwillが表す未来から見ていきます。

willが表す未来

一人称の主語

I will finish this task by noon. 昼までにはこの仕事を終えるつもりだ。

willは元来「to wish(欲する、願う)」の意味を持つ助動詞なので、主語の意志が加わった未来を表します。そして、この例文のようにwillを一人称の主語に用いると「~するつもりだ」という意味になり、自分の意志を述べることになります。

二人称・三人称の主語

しかし、自分以外の者については意志の有無は判断できないので、それを推測するしかありません。それゆえ、下の例文のようにwillを二人称や三人称の主語に用いると、「~するだろう」という話し手の推量だけが強調された意味になります。

You will get well in few days. 君は数日中に良くなるだろう。

The old man will die soon. あの老人は間もなく死ぬだろう。

shallが表す未来

一人称の主語

I shall return. 私は必ず帰って来る。

この例文は、有名なダグラス・マッカーサー元帥の言葉です。彼は太平洋戦争が勃発した当時、アメリカの極東軍司令官としてフィリピンに駐屯していましたが、日本軍の零戦によって圧倒されました。追い詰められた彼は、捕虜になる危険を避けるため、やむなく脱出を決意。家族と側近を伴って、魚雷艇でマニラ湾にあるコレヒドール要塞からひそかに脱出しました。その時に、マッカーサーはこの言葉を残したのですが、なぜ彼は「I will return.」と言わなかったのでしょうか。

もし、「I will return.」と言ったとすれば、フィリピンに帰って来ることはマッカーサーの意志になります。しかし、「I shall return.」では、フィリピンに帰って来ることは彼の意志ではありません。それは、神の意志なのです。つまり、神が私(マッカーサー)をフィリピンに帰って来させるということです。このように神によってそうさせられるということから、shallの「必ずや〜する」という意味が出て来るわけです。

二人称・三人称の主語

このshallが表す神の意志は、一人称の主語に対してだけではなく、二人称と三人称の主語に対しても同様に働きます。しかし、その場合は、最終的に話者の意志として表現されます。どういうことでしょうか。以下の例文で説明します。

You shall have my answer tomorrow.  明日返事をしましょう。

二人称の主語に対してもshallが表す神の意志は働きます。それゆえ、この例文は「神によってあなたは私の返事を持たされる」というのが本来の意味です。しかし、それを話者である私が言うことで、神の意志が私の意志に転換されます。つまり、神がそうさせると私が神の意志を代弁することで、私がそうさせるということになり、そこから「(私が)明日返事をしましょう」という意味が出て来るわけです 。これは形式ばった表現なので、 普通は「You will certainly have my answer tomorrow.」、「I’ll give you my answer tomorrow.」、「You can have my answer tomorrow. 」などの表現が用いられます。

He shall not go. 彼には行かせない。

三人称の主語に対してもshallが表す神の意志は働くきます。それゆえ、この例文は「神は彼を行かせない」というのが本来の意味です。しかし、それを話者である私が言うことで、やはり神の意志が私の意志に転換されます。そして、そこから「(私が)彼には行かせない」という意味が出て来るわけです 。これは形式ばった表現なので、普通は「I won’t let you go.」とか「I won’t make you go.」などの表現が用いられます。

運命

shallの神がそうさせるという意味から神がそう決めているという意味が派生するので、下の例文のようにshallが運命を表すことがあります。

One day we shall die.  私たちはいつか死ぬ運命だ。

義務

shallは印欧語の原義まで遡ると、「owe、be obliged to(義務を負っている)」という意味になります。では、誰に義務を負っているのでしょうか。それは神に対してです。したがって、神に義務を負っているわけですから、同じ義務を表す助動詞でも、shallは後述するmustよりも強い義務を表します。そして、法律や規則は強い義務の体系ですから、法律や規則で定めたことを表現する場合にはshallが用いられます。その場合、下の例文のように「~であること」という意味になります。

Tenants shall not play any musical instrument after midnight. 賃借人は夜の12時以降いっさいの楽器を演奏しないこと。

willとshallの疑問文

will:二人称が主語の疑問文

Will you go there tomorrow?  あなたは明日そこへ行くつもりですか。

willは主語の意志を表すので、これを二人称が主語の疑問文に用いると、この例文のように相手の意志を問うことになります。しかし、willを一人称が主語の疑問文に用いることはできません。なぜなら、そうすると、自分の意志がわからないということになるからです。それゆえ、主語が一人称の疑問文では、単数でも複数でも、下の例文のように助動詞にはshallが用いられます。

shall:一人称が主語の疑問文

Shall I open the door? 私がドアを開けましょうか。

Shall we dance? 踊りましょうか。

shallは神の意志を表しますから、上の例文は本来は「神が私にドアを開けさせようとしているのではないでしょうか」という意味であり、そこから「私がドアを開けましょうか」という意味が出て来るわけです。一方、下の例文は有名な映画のタイトルでもありますが、これも本来は「神が私たちを踊らせようとしているのではないでしょうか」という意味であり、そこから「踊りましょうか」という意味になります。

will:三人称が主語の疑問文

Will he be waiting for us? 彼は私たちを待っているだろうか。

第三者の意志については推測することしかできません。それゆえ、willを三人称が主語の疑問文に用いると、この例文のように主語が「~するだろうか」という意味になります。

shall:三人称が主語の疑問文

Shall he wait? 彼に待たせましょうか。

shallを三人称が主語の疑問文に用いると、第三者の行為について、相手の希望や意向を尋ねることになります。つまり、この例文は「神が彼を待たせるのではないでしょうか」というのが本来の意味であり、それを相手に問いかけることで相手の希望や意向を探っているわけです。そして、そこから「…に~させましょうか」という意味が出て来るのです。しかし、通常はこのような回りくどい言い方ではなく、「Do you want him to wait?」とか「Would you like him to wait?」という表現が用いられます。

以上、willとshallを用いた疑問文を見てきましが、willとshallにはアスペクトと組み合わせて未来を表わす3つの形式があります。しかし、shallを用いた形式はあまり使われないので、ここでは省きます。ここからは、willを用いた未来の表現形式について、それぞれ見ていきます。

未来進行形

I will be waiting for you tomorrow morning.

「will be + ing形」の形式を採る未来進行形は、この例文のように未来のある時点における進行中の動作を表し、その場合は「(将来)~しているだろう」という意味になります。この未来進行形は、特にその動作がほとんど確定的で、今からはっきり予見でき、しかも近い未来と意識しているときに多く用いられます。

未来完了形

未来完了形は「will have + ed形」という形式を採り、未来のある時点を基準にして、それまでに予想される完了結果経験継続を表します。以下に、それぞれの用法の例文を見ていきます。

完了

I will have finished it when you come home next month. 私は来月君が帰宅する時には、それをやり終えているだろう。

未来完了形は、この例文のように未来のある時点までに完了する動作を表し、その場合は「(その時には)~してしまっているだろう」という意味になります。

結果

When you come back, your father will have sold this house. 君が帰って来る時には、君の父はこの家を売り払って(家は他人の物になって)いるだろう。

未来完了形は、この例文のように未来のある時点においてどうなっているかという結果を表し、その場合は「~して(その時には)…しているだろう」という意味になります。

経験

You will have seen the world before you are twenty. 君は20歳にならないうちに、世の中を見るだろう。

未来完了形は、この例文のように未来のある時点までの経験を表し、「(その時までには)~を経験しているだろう」という意味になります。

継続

He will have lived here for full ten years when April comes next year. 彼は来年の4月が来れば、ここにまる10年継続して住んだことになるだろう。

未来完了形は、この例文のように未来のある時点まで継続している状態を表し、その場合は「(未来のある時点までずっと)~しているだろう」という意味になります。

未来完了進行形

未来完了形において継続を表す場合、それに用いられる動詞は、現在完了形や過去完了形と同様に状態動詞になります。そして、動作動詞を用いて継続を表す場合は、未来完了進行形を用います。

He will have been teaching here for ten years if he goes on teaching till next March. 彼は来年の3月まで教え続ければ、ここで10年間教えてきたことになるだろう。 

未来完了進行形は、この例文のように「will have been + ing形」の形式で未来のある時点まで継続する動作を表し、その場合は「(未来のある時点までずっと)~しているだろう」という意味になります。

以上、willとshallが表す未来について見てきましたが、他にも未来を表す助動詞はあります。そして、未来を表すということを本当に理解するためには、蓋然性(がいぜんせい:probability)という概念を知る必要があります。そこで、次に未来を表すということと蓋然性との関係について説明し、それから未来を表す助動詞についてそれぞれ個別に解説していきます。

未来を表す助動詞と蓋然性

蓋然性とは、ある事柄が発生するか否か、または知識が真実かどうかの確実性の度合いのことです。それは元来は確からしさを意味し、必然に対応する言葉です。それゆえ、事物の生起が必然であれば、蓋然性は100%になります。けれども、それが必然でなければ、そこに偶然の入る余地が生まれるので、蓋然性は偶然の中で起こる可能性として示されます。そして、蓋然性を数量化したものが確率です。

ところで、蓋然性が可能性や確率として示されることからもわかるように、それは未だ来て(起きて)いないこと、つまり未来に対する確実性の度合いであり、未来に関する概念です。それゆえ、蓋然性を示す助動詞、つまり意志、可能性、推量を示す助動詞は、すべて未来を表します。

ちなみに、上述したshallは神の意志を示すので、その蓋然性は100%であり、必然です。また、未来を意志するwillの蓋然性も80%で高いと言えますが、これらが遠隔形(過去形)のwouldやshouldになると、時制の一致で使われる場合を除いて蓋然性は下がります。その理由については後述します。その他の未来を表す助動詞については、以下に見ていきます。

must

We must take care of our health. 私たちは健康に注意しなければならない。

mustはこの例文のように義務を表し、その場合は「~しなければならない」という意味になります。そして、義務として行うことは高い蓋然性を持つため、mustは下の例文のように肯定的推断を表し、その場合は「~に違いない」という意味になります。

It must be true. それは真実に違いない。

ちなみに、mustが表す義務はかなり強い拘束力や強制力を持ちますが、それでもその義務はあくまで主観的なものです。これに対して、shallが表す義務は神に負っている義務であり、逆に言えば、神が課す義務ですから、その拘束力や強制力は絶対的です。

can

The child can’t walk yet.  その子はまだ歩けない。

canはこの例文のように能力を表わし、「~(することが)できる」という意味になります。そして、できることは蓋然性を持つため、canは下の例文のように可能性推量を表わし、その場合は「~がありうる,~する(になる)ことがある」という意味になります。

Smoking can cause cancer. 喫煙はがんを引き起こす可能性がある。

may

You may go there at once. すぐにそこへ行ってよい。

mayはこの例文のように許可を表わし、「~してもよい」という意味になります。そして、許可が必要なことは低い蓋然性を持つため、mayは下の例文のように不確実な推量を表わし、その場合は「~かもしれない,おそらく~であろう」という意味になります。

The snow may have disappeared by tomorrow. 雪は明日までには消えてしまっているかもしれない。

以上、willとshall以外の助動詞を見てきましたが、蓋然性という視点で捉えると、それらも未来の事象を表すということが理解できたのではないでしょうか。

ところで、mustを除き、willにwould、shallにshouldがあるように、canにはcould、mayにはmightという遠隔形(過去形)の助動詞があります。そして、助動詞が遠隔形(過去形)になると蓋然性が低くなります。なぜなら、現実の蓋然性は100%ですが、遠隔形の遠隔とは現実から遠く隔てられたという意味だからです。つまり、助動詞が遠隔形(過去形)になれば現実から遠く隔てられるので、その分だけ蓋然性が下がるわけです。

また、前回のブログ記事「時制とアスペクト」で述べたように、遠隔形は現実から遠く隔てられた世界、つまり叙想法(仮定法)が扱う現実とは反対の仮想の世界を表します。したがって、would、should、could、mightという遠隔形(過去形)の助動詞については、叙想法(仮定法)を扱う次回のブログ記事で解説します。乞うご期待!!

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