受動態と完了形

前回のブログ記事「叙想法(仮定法)と遠隔形(過去形)」において、時制や法と並ぶ基本概念である態(Voice)を理解することの重要性を指摘しました。そこで今回のブログ記事では、この態(Voice)について解説します。

ところで、前回のブログ記事で見たように、叙想法(仮定法)については、動詞の遠隔形(過去形)の理解が核心でした。これに対して、態(Voice)の中核は、完了相つまり動詞の完了形を理解することにあります。しかし、このことの解説に入る前に、まずは態(Voice)とは何かということについて説明します。

態(Voice)とは何か

態(Voice)とは、他動詞を用いた文で、主語がその動作を行うのか、それともその動作を受けるのかを示すために他動詞の語形を変化させることです。一般に動作を行う側を主体と言い、その主体によって動作を受ける側を客体と言います。それゆえ、態とは主語主格)と目的語(目的格)の交替に呼応する他動詞の語形変化とも言えます。

そして態には、主体つまり「する」側の行為を表す能動態(Active Voice)と、客体つまり「される」側の行為を表す受動態(Passive Voice)の2種類があります。つまり、能動態は主語が他の何かに対して動作を仕掛けるときの言い方であり、「~は・・・する」という意味になります。これに対して、受動態は主語が他の何かによって動作を仕掛けられるときの言い方であり、「~は・・・される」という意味になります。以下の例文を見てください。

Everybody likes him. みんなは彼のことが好きです。

He is liked by everybody. 彼はみんなに好かれています。

上の例文は能動態の文(能動文)で、下の例文は受動態の文(受動文)ですが、能動文は普通に使われるものなので、ここでは特に解説しません。ここからは、受動態についてさらに深堀りしていきます。

第3文型の受動態と作用方向

基本的に受動態に用いられる動詞は他動詞に限られます。そして、受動態は「be動詞 + 完了形(完了相)」の形で示されます。まずは、最も一般的な第3文型の能動文とその受動文について見ていきましょう。

A cat catches a mouse. ネコはネズミを捕まえる。

A mouse is caught by a cat. ネズミはネコに捕まえられる。

上の能動文の例文では動作の主体は主語ですが、下の受動文の例文では動作の主体は前置詞byによって示されされています。それゆえ動作が働きかける向き作用方向)は、能動態の場合は主語から目的語に向かう方向(→)になり、受動態の場合はbyが示す動作主体から主語に向かう方向(←)になります。また、 下の受動文の例文は第2文型に属します。なぜなら、そこでは完了形が状態を示す形容詞となって補語として働くからです。

では、第4文型の受動態において、その作用方向はどうなっているのでしょうか。ただし、受動態の場合、be動詞は存在を示すだけで、完了形が具体的な動作を表すので、受動態の作用方向は完了形の作用方向になります。

第4文型の受動態と作用方向

I gave him a book. 私は彼に本を与えた。

A book was given him by me. 本が私によって彼に与えられた。

He was given a book by me. 彼は私によって本を与えられた。

これらは、第4文型の能動文とその受動文の例文です。そして、 第4文型には間接目的語と直接目的語という2つの目的語があるので、それぞれ受動態をつくることができます。しかし、2つの目的語のうち主語になれるのは一つだけなので、他の一つは保留目的語(Retained Object)として残されます。したがって、上から2番目の例文は間接目的語himを主語にした受動文であり、直接目的語a bookが保留目的語になっています。これに対して、3番目の例文は直接目的語a bookを主語にした受動文であり、間接目的語himが保留目的語になっています。

ここで再び作用方向について考えてみましょう。能動態において他動詞gaveは、主語と保留目的語の両方に作用して働きかけます。しかし、それが受動態のwas givenになると、完了形の作用方向は主語に向くので、 2番目の例文では保留目的him 、3番目の例文では保留目的語a bookに動作が働かなくなります。つまり、 受動態になって完了形の作用方向が主語に向けば左向き(←)になるので、能動態で他動詞が持っていた保留目的語に働きかけるための右向き(→)の作用回路が閉じてしまいます。

そうすると、第4文型の受動文の文型は何かという問題が生じます。上述のように第3文型の受動文は第2文型ですが、第4文型の受動文は保留目的語があるためSVCOになるので、第2文型にはなりません。それなら、第4文型の受動文の「be動詞 + 完了形」の部分を動詞句と見なせば、第3文型として扱えるでしょうか。

確かに「be動詞 + 完了形」の部分を動詞句と見なせば、形式的にはSVOになるので第3文型に見えます。しかし、第3文型の V、つまり不完全他動詞は目的語に働きかけます。これに対して、 第4文型の受動文では完了形の作用方向が主語に向いて左向き(←)になるので、保留目的語に働きかけるための右向き(→)の作用回路が閉じています。だから、 第4文型の受動文の動詞句は、 不完全他動詞のように保留目的語に働きかけることができません。したがって、 第4文型の受動文は第3文型ではありません。

形容詞の目的語

第4文型の受動文では完了形を形容詞と見なせるので、その形容詞が目的語を取ると考えればどうでしょうか。伝統的な英文法は、一部の形容詞が目的語を取ることを認めています。以下の例文を見てください。

He was a boy quite unlike others. 彼は他の子供とはまったく違った子供だった。

The house stands opposite ours. その家は、私たちの家に向かい合って立っている。

This watch is not worth mending. この時計は修理する価値がない。

これらの例文の形容詞は直後に名詞を取っていて、その名詞を目的語と呼んでいるわけです。そして、このような、目的語を取る形容詞は後位の付加的用法または叙述的用法のみで使われていますが、そもそも形容詞の目的語とは何でしょうか。動詞の目的語とは、他動詞の動作が及ぶ対象を指します。これに倣えば、形容詞の目的語はそれが表す状態が及ぶ対象になります。では、対象とは何でしょうか。

対象には、行為の目標となるものとか、認識や意志などの精神活動が向けられるものという意味があります。 動詞の目的語はまさに行為の目標となるものですが、形容詞は動作ではなく状態を表すので、形容詞の目的語は精神活動が向けられるものになります。では、形容詞の場合、なぜ対象に精神活動が向けられるのでしょうか。それは、形容詞が示す状態の様相をより具体的に表すためです。つまり、形容詞の目的語は、何に対してその状態がそうなっているのかを表すための比較対象としてあるわけです。

例えば最初の例文では、形容詞unlikeが示す「似ていない、違っている」という状態は、others「他の子供」に対してそうだと述べています。2番目の例文でも、形容詞oppositeが示す「向かい合っている」という状態は、ours「私たちの家」に対してそうだと述べています。3番目の例文でも、形容詞worthが示す「価値がある」という状態は、 mending「修理すること」に対してそうだと述べています。

このように第4文型の受動文おいては、保留目的語を形容詞の目的語と考えることできます。そうすると保留目的語は動詞の目的語ではなくなるので、 第4文型の受動文を第2文型SVCの一種として分類することができます。

形容詞の目的語は、本来は下の例文のように、形容詞の次に来る前置詞の目的語として現れるものです。つまり、形容詞の目的語は形容詞の後の前置詞が省略された形になるわけです。

What is the nearest to the earth? 地球に最も近い星はどれか。

確かに、形容詞の後に前置詞がある方が、文法的にはすっきりと第2文型として収まります。けれども、上述の例文で見たように、形容詞の目的語という形容詞の直後に前置詞なしで名詞が来る形も認められているので、 第4文型の受動文を第2文型に属するとしてもかまわないでしょう。では、第5文型の受動態の文型はどれになるのでしょうか。

第5文型の受動態の文型

第5文型の能動文の例文と受動文の例文を以下に示します。

He made me happy. 彼は私を幸せにした。

I was made happy by him. 私は彼に幸せにしてもらった。

まず、上の能動文の例文において、meは目的語、happyは目的格補語になります。そして、その文が受動文になると、 目的語 のmeは主語になって前に出ますが、目的格補語のhappyは保留目的語のように元の位置に据え置かれます。その際、第4文型の受動文と同様に、完了形の作用方向が主語に向いて左向き(←)になるので、完了形madeが持っていた右向き(→)の作用回路が閉じて目的格補語に働きかけることができなくなります。では、第5文型の受動態は5文型のどれに属しているのでしょうか。

第5文型の受動文の場合、「be動詞 + 完了形」の部分を動詞句と見なせば、形上は目的格補語が主格補語になるので第2文型になります。しかし、内容的にも主格補語となるためには、主語と主格補語の間に同等関係がなければなりません。果たしてどうでしょうか。例文では、主語のI「私」は happy「幸せな」状態にあるので、同等関係が成り立ちます。したがって、第5文型の受動文は第2文型に分類することができます。

ところで、「be動詞 + 完了形」の部分を動詞句と見なす考え方に違和感を覚える人がいるかもしれません。しかし、動詞句と見なす考え方は、例えば現在完了形などにおいても普通に見られるものです。そこで次に現在完了形について見てみましょう。

現在完了形との比較

I have sutudied English for five years before I came here. ここに来る前に、私は英語を5年間学んできた。

これは「have + 完了形(完了相)」の形式を持つ現在完了形の例文ですが、英文法においてはhave sutudiedを動詞句と見なしてSVOの第3文型として扱っています。ちなみに、「have + 完了形(完了相)」の形式を動詞句と見なす場合は、haveが助動詞、完了形が本動詞になります。同様に、受動態の「be + 完了形(完了相)」 を動詞句と見なす場合は、beが助動詞、完了形が本動詞になります。

また、動詞の完了形sutudiedには「~される」という受け身の意味はありません。もしそうであれば、完了形の作用方向が主語に向いて左向き (←) になるので、目的語Englishに働きかけることができなくなります。しかし、実際には完了形sutudiedに受け身の意味はなく、その作用方向はあくまで右向きです。完了形の作用回路が右向きに開いているからこそ、 完了形sutudied は目的語Englishに働きかけることができるわけです。

be動詞の役割

では、何が完了形に受け身の意味を持たせるのでしょうか。それはbe動詞です。英語を母国語とするネイティブは 「be動詞 + 完了形(完了相)」 を受動態の形式として認識しています。だから、上述の例文ではwas givenまで来た時点で、それが受動文だと判断します。つまり、 be動詞は受動態を示す印として働くわけです。

ところで、文法書の中には、be動詞を単に主語または目的語と、補語を結び付けるだけの繋合詞(けいごうし:Coupla)や連結動詞(Link-verb)と見なすものがあります。しかし、そのような見方は正しくありません。なぜなら、 be動詞 には「ある、存在する」という立派な意味があり、それは存在動詞としてしっかり働くからです。

そして、受動態の形式は「be動詞 + 完了形(完了相)」 ですが、それをそのまま訳すと「存在する完了した状態で」になります。同様に、上述の「A mouse is caught by a cat.」の訳は、「ネズミは存在する、捕まった状態で、ネコによって」となります。この「caught 捕まった」という完了の状態は、「by a cat ネコによって」のところで動作主体が示されるので「 ネコによって捕まった」となります。 それと同時に、 by のところで完了形の作用方向が右向きから左向きに変わるので、 その結果「~される」という受け身の意味が出て来ます。このとき「ネコによって捕まえられる」という意味に変わるのです。つまり、受け身の意味は、動作主体を示す by のところで完了から意味が変化した結果として得られたものなので、受け身ではなく完了が完了形が持つ本来の意味だと言えます。だからこそ、アスペクトではed形を完了相と呼んでいるのです。

完了から受け身への意味の変化

前述のように完了形は完了と受け身の2つの意味を持ち、受動文を完了形の意味のまま読み進めても、途中までは意味が通じます。しかし、byのところで動作主体が示されるため完了形の作用方向が右向きから左向きに転換して、完了から受け身に意味が変化します。つまり、受け身の意味は、byのところの意味変化の結果として生じたものになります。そして、be動詞が受動態を示す印として働くのは、その結果を先取りしているからです。

この完了から受け身への意味の変化は、日本語においても見られます。例えば「私は雨に降られた」と言いますが、これは「雨が降った」結果として「私」に影響(不利益)が及んだ場合の言い方になります。つまり、 動作が完了した結果として 迷惑の受け身被害の受け身という受動態の意味が出て来るわけです。このように、受動態ではすでに完了した動作が主語に及ぶので、完了と受け身の意味は極めて近い関係にあると言えます。

このように、現在形の受動態と現在完了形は形式的にも意味的にも近い関係にありますが、このことは歴史的に見ても言えます。

現在完了形の形成過程

現在完了形の完了形(ed形)は、古くは形容詞として主語または目的語に対する補語として使われていました。それが、長い慣行によってhave、hasと結合して、一つの時制をつくるようになったのです。その経緯を示せば、以下のようになります。

①He has his letter (which is) witten. 彼は書き終えた手紙を持つ。→ 彼は手紙を書き終えている。

このhasとwrittenが結合して新しい形式を生み、次のように現在完了形が完成したわけです。

② He has witten his letter. 彼は手紙を書き終えている。→ 彼は手紙を書いてしまった。

一方、古い英語では、以下に見るように、「自動詞+完了形」の形が現在完了の意味を持っていました。

①He is gone. 彼は行ってしまって、今はここにいない。

しかし、時代とともに、hasがisの代わりに使われるようになり、hasとgoneが結合して、次のように新しい時制をつくったのです。

② He has gone.  彼は行ってしまって、今はここにいない。

このように、現在形の受動態と現在完了形の類似性は、歴史的にも裏付けられているのです。

思考の流れと予測

上述のように、完了形は受動態では受け身の意味を持ち、現在完了形では完了の意味を持つので、二重の意味を持ちます。そして、be動詞はその文が受動態であることを示す印としても機能しています。しかし、受動態になると 完了形の作用方向が主語に向いて左向き(←)になるので、本来完了形が持っていた右向きの作用回路が閉じられます。理屈を言えばこうなりますが、実際の英語を母国語とするネイティブの頭の中の処理、思考の流れはどうなっているのでしょうか。

通常、英文は左から右へ読み下すものであり、思考もその方向に沿って進みます。そうやって順次、思考は文意を理解していくのです。そして、作用方向という視点で見ると、能動文では動詞の作用方向と思考の流れの向きは一致していて、共に右向き(→)です。しかし、受動態の完了形の作用方向は左向き(←)になるので、思考も左から右の流れを一旦止めて、右から左の流れに切り換えなければならなくなります。

確かに、精読しているときは、このような思考操作をすることがあるかもしれません。しかし、英文を読むときに漢文を読むときのような返り点的な操作をして、いちいち前を振り返っていては、英文を速く読むことはできません。ましてや、話すことはより困難になります。だから、英語を母国語とするネイティブは、そのような後戻り的な思考操作はしないで、思考をただ前から後ろ、左から右に進めて行くはずです。それでは、 ネイティブの思考は、受動態をどう処理しているのでしょうか。

予測による読解

ネイティブの思考は、常に先を予測しながら読み進んでいます。 そして、「be動詞+完了形」を受動態の形として認識しているので、be動詞の次に完了形が来た時点で、その文が受動文だと判断します。しかし ネイティブの 思考は、そこから作用方向の転換して後ろを振り返りません。受動態と判断した瞬間に「~される」という意味が思い浮かびますが、それに対して「では、何に対してそうされるのか」という問いを発し、その「何か」を求めて先に進んで行きます。そして思考は、完了形の次に名詞が来れば、それを保留目的語か目的格補語と認識します。逆に、 完了形の次に名詞が来なければ、前置詞byのところまで読み進んで動作主体を確認するだけです。このように実際のネイティブの思考は、前を振り返ることなく、そのまま右向きに流れて行きます。

頭からの逐語的な理解と翻訳

なぜ、このようなことを書くのかと言うと、英語が直線的に流れる言語だからです。英語は前の方で大まかなことを述べて、それから徐々に細かな説明をしていく(修飾語、句、節を加えていく)言語なので、後戻りすることはありません。そして、 直線的に流れるからこそ、論理を突き通す論理的な表現ができるのです。したがって、英文を解釈するときは、頭から逐語的に理解していくことが本来のやり方です。

しかし、翻訳では、そのやり方だけでは日本語にならない場合が出て来ます。けれども、翻訳においても頭から訳すのが基本なので、日本語にならない部分は後から修正していきます。英文は前から後ろ、左から右に進む思考の流れであり、それに沿って意味を汲み取っていく方が、その英文が何を言おうとしているのかを理解しやすいからです。そうやって、まずは英文が伝えたい内容を英語のまま理解した上で、それを日本語に合った表現に置き換えていけば、英文が伝えたい内容を損なうことはありません。

また、特に長い文章について言えることですが、 頭から訳していくと、思考の流れを切らずに全体を表現できるというメリットがあります。 翻訳で後戻りさせると、その英文が持つ思考の流れ、ひいては論理の流れを途中で切断するので、 文章全体を貫く論理の一貫性を把握しずらくなります。しかし、頭から訳していけば、そうした論理の流れを切らずに、文章全体が持つ論理構造を筋を通して表出させることができます。それゆえ、私が翻訳する際は、できるだけ頭から訳すようにしています。

さらに、頭から訳す習慣は、英語を読むこと(reading)だけでなく、書くこと(writing) 、話すこと(spaking) 、聴くこと(listening) にも役立ちます。なぜなら、それが英語を英語のまま理解すること、いわゆる「英語で考える(Think in English)」ことにつながるからです。実際、私も 頭から訳す 癖を付けてからは、英語の4技能が向上しました。

それでは、この頭から訳す方法を第4文型で試してみるとどうなるでしょうか。次にそれを見てみましょう。

第4文型の受動態への適用

A book was given him by me. 本が私によって彼に与えられた。

He was given a book by me. 彼は私によって本を与えられた。

上の例文を頭から一語一語ごとに逐語的に訳していくと、givenまで進んだ時点で受動態であることがわかるので、「本は存在した、与えられた状態で」となります。次に「何を与えられたのか」と問いつつ givenの先の語を見ると、上の例文ではhimがgivenの次に来るので、それを間接目的語の保留目的語と認識して、「彼に」を加えます。そして、by meまで来た時に初めて与えた主体が私(me)であることがわかるので、「私によって」を加えます。こうしてできた「本は存在した、与えられた状態で、 彼に 、 私によって」を日本語らしくまとめ直すると、上記の訳文になるわけです。

下の例文も同様に逐語的に訳していくと、givenまで進んだ時点で受動態であることがわかるので、「彼は存在した、与えられた状態で」となります。次に「何を与えられたのか」と問いつつ given の先の語を見ると、 下の例文ではa bookが given の次に来るので、それを直接目的語の保留目的語と認識して、「本を」を加えます。 そして、 by me のところで与えた主体が私(me)だとわかるので、「私によって」を加えます。 こうしてできた「彼は存在した、与えられた状態で、 本を 、 私によって」を日本語らしく表現し直すと、上記の訳文になるわけです。

このように頭から訳していけば、後戻りすることなく読み進めることができます。この方法を、次に第5文型の受動態にも当てはめてみます。

第5文型の受動態への適用

I was made happy by him. 私は彼に幸せにしてもらった。

ネイティブの思考は常に問いを発して次に来る語を予測しながら読み進んでいきますが、予測するためには動詞の文型が頭にインプットされていなければなりません。つまり、第4文型の動詞であれば、それが間接目的語と直接目的語という2つの目的語を取ることを知っている必要があります。同様に、第5文型の動詞であれば、それが目的語と目的格補語を取ることを知っていなければなりません。さらに、第5文型では目的格補語に名詞か形容詞のどちらかが来るという知識も重要です。なぜなら、目的格補語の品詞の判別ができないと、受動文の中で4文型の保留目的語なのか、それとも第5文型の目的格補語なのかの区別がつかないからです。

目的格補語が形容詞の場合

この予測を用いて上の第5文型の受動文を頭から訳していくと、完了形made まで来たときに受動態であることが確認できるので、ここまでの逐語訳は「私は、存在した、つくられた状態で」となります。次に、made の原形makeは第5文型の不完全他動詞なので、続けて目的格補語が来ることを予想します(受動文では目的語は主語になって前に出るので、この位置にはありません)。実際にmade の先を見ると、形容詞happyが来るので、予想通りそれが目的格補語であることがわかります。そして、「何がつくられたのか」という問いに対しては「幸せな状態」が答えになるので、ここまでの逐語訳は「私は、存在した、つくられた状態で、 幸せな状態を」となります。 そして、 by me まで来ると、つくった主体が彼(him)であることがわかるので、「私は、存在した、つくられた状態で、彼によって」となります。 これを日本語らしく表現すると、上記の訳文になります。

目的格補語が名詞の場合

上の2つの例文は目的格補語が形容詞でしたが、次の例文は目的格補語が名詞になります。

They call him Jack. 人々は彼をジャックと呼んでいる。

He is called Jack by them. 彼は人々からジャックと呼ばれている。

下の受動文を予測を用いて頭から逐語的に訳していくと、 完了形calledまで来たときに受動態であることが確認できるので、ここまでの逐語訳は「彼は、存在する、呼ばれた状態で」となります。ただし、callは第5文型というよりは第3文型の動詞として馴染みがあるので、この時点ではまだ次に目的格補語が来ることは予想できません。 それでもcalled の次を見ると、名詞Jackが来るので、これが保留目的語なのか、それとも目的格補語なのかを判別しなければなりません。この場合、主語HeとJackの間に同等関係があるかどうかで判断しますが、ここではその関係が成り立つのでJackを目的格補語として判定します。したがって、ここまでの逐語訳は「彼は、存在する、呼ばれた状態で、ジャックと」になります。そして、by them まで来ると呼んだ主体が人々(them)であることがわかるので、逐語訳は「彼は、存在する、呼ばれた状態で、 ジャックと、人々によって」となります。 これを日本語らしく表せば、上記の訳文になります。

再帰動詞の受動態

ここで話題を変えて、再帰動詞(さいきどうし:reflexive verb)の受動態は自動詞の意味になることを解説します。文法書でこの事実を記載したものはありますが、なぜそうなるのかについて書いたものはほとんど見かけません。そこで、以下にそうなる理由について説明します。

再帰動詞とは

再帰動詞とは主語が行う動作が再び主語に帰って戻って)来る動詞を言います。英語では、他動詞の目的語を再帰代名詞(oneselfなど -self の形をしている名詞)に変えることで、自分自身を対象として動作行為)を行う再帰動詞がつくられます。

I devoted myself to my business.  私は自分自身を商売に没頭させていた。→ 私は商売に没頭した。

I was devoted to my business. 私は商売に没頭していた。

上の例文はその再帰動詞を使った能動文です。これを受動文に変えると下の例文になりますが、そこまでの手順を以下に示します。ただし、再帰動詞は特殊なので、それと比較するために、上で使った一般的な他動詞の例文の場合も並記します。

受動文への変換

能動文: I devoted myself to my business.  /  A cat catches a mouse.

①能動文の主語を取り外して目的語を主語の位置に置きます。そして、それに合わせて目的語の格を目的格から主格に変えて、文字を小文字から大文字に変えます。

Myself devoted to my business. / A mouse catchies.

*myselfもa mouseも主格と目的格が同形なので、ここでは格変化が生じません。

②be動詞を元の能動文の時制と新しい主語の人称に合わせて語形変化させて、それを他動詞の前に置きます。

Myself was devoted to my business. / A mouse is catchies.

③元の能動文の他動詞を完了形にします。

Myself was devoted to my business.  / A mouse is caught.

*他動詞devoteの過去形と完了形は同じなので、ここでは語形変化が生じません。

④動作主体を示すために、取り外した能動文の主語を目的格に変えて、前置詞byの目的語にします。そして、その前置詞句を後方に置きます。

Myself was devoted to my business by me. / A mouse is caught by a cat.

*このbyの前置詞句による動作主体の提示は、しばしば省かれることがあります。

右側の過程が示すように、一般的な他動詞の場合は、この手順を踏めば能動文から受動文への変更が完了します。しかし、再帰動詞の場合は、さらに主語をIに変えて、byの前置詞句を省かなければ、上記の例文の形(I was devoted to my business. )にはなりません。けれども、ここでの目的は、能動文から受動文への変更過程を示すことではありません。あくまで、再帰動詞が受動態になったときに自動詞の意味になることを明示するのが目的です。そのために、文法的には正しくない④左側の文をあえて提示したわけです。

再帰性の保持と自動詞の作用対象

上述のように動作が働きかける向き作用方向)は、能動態の場合は主語から目的語に向かう方向(→)になり、受動態の場合はbyが示す動作主体から主語に向かう方向(←)になります。したがって、④左側の文では作用方向がmeからmyself、つまり私から私自身に向かう方向になります。つまり、 ④ 左側の文は受動態になっても 主語が行う動作が再び主語に戻って来るという再帰性が保持されていることを示しています。

一方、自動詞とは自分だけで意味が成り立つ動詞なので、動作主体の動作が他に及びません。そして、他に及ばないわけですから、 当然自動詞は動作の対象である目的語を取りません。では、自動詞の動作は、何に対して及ぶ(作用する)のでしょうか。それは自分自身に対してです。つまり、自動詞の動作は外に向かわず、内に向かって自分自身に働きかけるのです。それゆえ、自分が持つ力が自分自身に作用して、自分でそうなっていくというのが自動詞のイメージです。例えば、「花が咲く(A flower blooms.)」という自動詞の能動文では、花が持つ咲かせる力が外に出ないで内に向かって花自身に作用するので、「花が咲く」となるのです。

そうなると、自動詞の作用の仕方と再帰動詞の作用の仕方は自分自身に及ぶ点で同じであり、両者は作用方向が違うだけということになります。つまり、自動詞の場合は作用方向が主語に向くので左向き(←)になりますが、再帰動詞の場合は作用方向が再帰代名詞に向くので右向き(→)になります。けれども、上で見たように、再帰動詞が受動態になることによって、再帰代名詞が前に出て主語の位置に来るので、再帰動詞の受動態と自動詞は作用方向が同じ 左向き(←)になります。したがって、前述のように、 再帰動詞の受動態が自動詞の意味になるわけです。

私のこだわり

私は高校生の時に、第4文型の受動態と第5文型の受動態では、作用回路が閉鎖に起因する問題があることに気が付きました。それで、当時の英語担当だったO先生に、この問題について質問しました。O先生はすごく優秀な英語教師でしたが、そのO先生でさえ、この問題に対する答えは持ち合わせていませんでした。結局、この問題は自分で解くしかなく、その後、いろいろな本を読みながら研究を重ねて、ようやく辿り着いた結論が上記の考え方です。

こんな問題など気にする必要はないと思う人もいるでしょうが、私は理屈に合わないことが嫌いです。それゆえ、論理的に説明できない部分があるとそこが気になり、自分が納得するまで考え続けます。私の長年の思考の成果、こだわりの産物はいかがだったでしょうか。私が知る限り、この問題を扱った本は見たことがありません。しかし、論理的に考えれば、必ずぶつかる問題です。

もちろん、この問題を考えなくても英語は処理できます。だから、実務的に英語を扱う上でも役に立つ、英語を頭から理解しながら読み下していく方法についても、ここで説明しました。しかし、少なくとも英文法を説く以上は、このような問題を避けては通れません。したがって、ここでこの問題を取り上げたのです。

けれども、今回で英文法の骨組みを理解するために必要な概念については、ほぼ解説したと考えています。それゆえ、これからは構文や翻訳の事例について取り上げていきたいと思います。乞うご期待!!

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