叙想法(仮定法)と遠隔形(過去形)

前前回のブログ記事「時制とアスペクト」では、動詞の過去形が本来は遠隔形と呼ぶべきものであり、遠隔形は現実から「遠く隔てられた」世界、つまり現実とは反対の仮想の世界を表すということを述べました。そして、前回のブログ記事「未来と助動詞」では、蓋然性の観点からwould、should、could、mightという遠隔形(過去形)の助動詞について触れました。動詞にしても、助動詞にしても、遠隔形を用いる以上、それは現実とは反対の仮想の世界を表すので、叙想法(仮定法)の範疇に入ります。

それでは、叙想法(仮定法)とは何でしょうか。しかし、それについて述べる前に、そもそも英文法における法(mood)とは何かを明らかにする必要があります。そこで、次に法について解説します。

法(mood)とは何か

英文法ではを表すのに「気分」を意味するmoodを用います。なぜでしょうか。それは、法が話し手の気分や心の状態を伝えるための動詞の語形変化のことを指すからです。つまり、英文法では法を、話し手の思っていることを動詞の形の変化で示すことと定義しているのです。このように話し手の心的態度や心境を示す法には以下の3種類があります。

1.叙実法叙実法は直説法とも言い、ある事柄を事実として述べるときの形で、平叙文、疑問文、感嘆文で用いられます。つまり、ある動作や状態を話し手が叙実法を使って表現するときは、話し手がそれを事実として認識しているわけです。

2. 命令法:相手に命令・依頼・忠告・禁止をするときの形で、命令文で用いられます。つまり、ある動作や状態を話し手が命令法を使って表現するときは、話し手がそうなるように命じたいわけです。

3. 叙想法:叙想法は仮定法とも呼ばれ、ある事柄を事実としてではなく、話し手の心の中で考えられたこと(想像・意図・願望・疑い)として述べるときの形を指します。つまり、ある動作や状態を話し手が叙想法を使って表現するときは、話し手がそれを心の中で描いた思い(想い)として捉えているわけです。

これら3種類の法の内、叙実法と命令法は比較的簡単で理解しやすいので、ここでは取り上げません。これに対して叙想法は難解なので、ここからはそれについて解説していきます。

叙想法と条件文

伝統的な英文法では、叙想法より仮定法と言う方が一般的です。では、なぜ仮定法という名称の方が普及しているのでしょうか。それは叙想法が、「もし~なら」という条件を示す条件節と、これに対応して「~であろう」という結論を述べる主文(帰結節)の組み合わせから成る条件文で用いられることが最も多いからです。つまり、条件節の「もし~なら」という部分が仮定を表すので、それをそのまま叙想法の名称にしているわけです。

しかし、叙想法の用法は、これから見ていくように条件文だけに限られません。叙想法の本質は、事実ではなく、あくまで話し手の思い(想い)の世界を描写することにあります。けれども、仮定法という条件文に特化したような名称は、話し手の心的世界を条件文が表す世界だけに限定するので、誤解を招きやすいと言えます。それゆえ、叙想法という名称の方がはるかに適切であり、私自身も常にこれを使用しています。なお、通常は帰結節と主文は一致していますが、後述するように一致しない場合もあります。

叙想法の種類と用法

伝統的な英文法では、仮定法(叙想法)の種類を仮定法現在、仮定法過去、仮定法過去完了、 仮定法未来の4つに分類しています。しかし、叙想法の種類をこのように時制の用語を使って分類することは、学習者を非常に混乱させます。なぜなら、話し手の心的世界(法)と時制は直接的には何の関係もないからです。このことをより適切な名称を提示しながら、以下に詳しく解説していきます。

叙想法原形(仮定法現在)

叙想法原形(仮定法現在)は現在や未来に関する不確実な想像を表し、動詞は原形を用います。ただし、現代英語では叙想法原形(仮定法現在)は条件節では用いません。代わりに叙実法(直説法)を用いるので、動詞は現在形を使用します。以下の例文を見てください。

If it rain tomorrow, I will not come.   明日、雨が降れば私は行かないだろう。*古代英語の表現

If it rains tomorrow, I will not come.  明日、雨が降れば私は行かないだろう。

上の例文は叙想法原形(仮定法現在)であり、動詞の原形を使った古い表現になります。一方、下の例文は叙実法(直説法)を用いた現代的な表現であり、動詞は現在形が使われています。いずれにしても、これらの例文が表すのは単なる想像であり、それが現実と異なるのは当然です。しかし、それは現実とは反対の仮想(仮定)ではありません。この点については、後述する叙想法遠隔のところで詳しく解説します。

また、どちらの例文も時制現在ですが、叙想法原形(仮定法現在)は動詞の原形を使います。これに対して、下の例文では動詞の現在形が使われていますが、これは叙実法(直説法)の表現だから当然です。しかし、このように叙実法(直説法)で使う動詞の現在形を借用してこれを仮定法現在と呼ぶのは、極めて不適切です。なぜなら、上述のように話し手の心的世界(法)と時制は直接的には無関係だからです。むしろ時制の用語を使う代わりに動詞の語形の名称を使った方が、より的確に本質を示せるので、私は仮定法現在ではなく叙想法原形という名称を使っています。

that節の中の叙想法原形

叙想法原形は条件節でこそ今は使われていませんが、それ以外ではまだ使用されています。例えば、叙想法原形は命令・提案・要求・依頼・必要などを表す動詞の目的語となるthat節の中で用いられています。具体的には、order (命令する)、propose(提案する)、suggest(提案する)、move(動議を出す)、advise (忠告する)、recommend (勧める)、demand(要求する)、request(要請する)、desire(欲求する)、insist(主張する)、urge(主張する)、ask(依頼する)、require(必要とする)などの動詞に続くthat節の中で使われています。以下の例文を見てください。

They proposed that the laboratory be built. 彼らは実験室の建設を提案した。

It is requested that the papers be made ready within a few days. 2・3日以内に書類を用意するよう求められている。

We desire that he visit us more often. 私たちは彼がもっと頻繁に訪ねてきてくれたらと思う。

He insisted that the meeting be postponed. 彼は会議は延期されるべきだと主張した。

なお、これらにおいて主文は叙実法ですが、that節の中は叙想法現在であり、そこで法が変わるので、時制の一致を受けることがありません。それゆえ、主文の時制が過去でもthat節の動詞は原形になります。それではなぜ、that節の中では叙想法原形が用いられるのでしょうか。それは、that節の内容が「こうなったら良いな」と話し手が思っている現状の改善だからです。つまり、that節の内容はまだ実現されてないことであり、事実ではなく、話し手の想像を表しているので叙想法原形が使われるわけです。

また、叙想法原形は条理・判断を示す「It is … that~」という構文のthat節の中でも使われています。なぜなら、that節の内容がまだ実現されてない話し手の想像を表しているからです。その場合「」の部分には、必要性・重要性を表す形容詞、すなわちnecessary (必要な)、important (重要な)、essential (不可欠な)、 desirable (望ましい)、 proper (適切な)、natural(当然な)などが来ます。以下の例文を見てください。

It is necessary that she have a good sleep. 彼女が十分な睡眠をとることが必要だ。

It is quite natural that you like it. 君がそれを好きになるのはしごく当然だ。

that節の中のshould

イギリス英語では、以下の例文のようにthat節の中にshouldが加わります。この場合、should は「~すべき」という意味なので、shouldが入るとthat節の内容は話し手が「こうすべきだ」と考えていることになります。その結果、意味的には強まりますが、that節の内容が現状の改善であることには変わりありません。それゆえshouldは、提案・要求・依頼・必要などを表す動詞や「It is … that~」の構文と共に用いられるわけです。

The doctor suggested that the child (should) be sent to the hospital. 医者はその子を病院に送るように提案した。

I demanded that he (shouldgo home soon. 彼はすぐに帰るべきだと私は要求した。

It is necessary that he (shouldgo home soon. 彼はすぐに帰る必要がある。

祈願や願望を表す叙想法原形

叙想法原形は、以下のように祈願願望を表す慣用表現の中でも使用されています。

Long live the Queen!  女王陛下万歳!女王が長生きされますように。

God save the King!  国王陛下万歳!神が国王をお守りくださいますように。

なお、この用法では下の例文のように文頭にmayを付けることがよくあります。

May you succeed! ご成功を祈ります。

May she return safe and sound! 彼女が無事に帰ってきますように。

叙想法遠隔(仮定法過去)

叙想法遠隔(仮定法過去)は 現在の事実に反する仮想を表わし、 動詞は過去形(遠隔形)を用いますが時制はあくまでも現在です。叙想法遠隔(仮定法過去)は、事実ではないことを表す点では、前述の叙想法原形(仮定法現在)と同じです。しかし、現在の事実(現実)からの乖離度合いが違うのです。

前述のように、叙想法原形は現実とは異なる想像の世界を表し、これに対して叙想法遠隔は現実とは反対の仮想(仮定)の世界を表します。この両者の違いをもっと深堀りすると、次のように言えます。つまり、叙想法原形が表す想像は、不確実ではあるものの現実に起こりうるものです。これに対して、叙想法遠隔が表す仮想は、現実には起こりえないものであり、これをあえて仮のものとして想定しているのです。それゆえ、叙想法遠隔には、現実からの心理的距離が遠く隔てられていることを示す動詞の遠隔形(過去形)が使用されるわけです。以下の例文を見てください。

If I had a camera with me, I would take some pictures. もしカメラを持っていれば、写真を撮るのだが。/現実にはカメラを持っていないから、写真を撮れない。

What would happen if somebody pressed that red button? もし誰かがあの赤いボタンを押したら、どうなるの?/現実には誰もあの赤いボタンを押さないから、何も変わらない。

叙想法遠隔形were

上で叙想法遠隔の動詞は遠隔形(過去形)を用いると言いましたが、叙想法独自の動詞の形はまだ残っていて、今でもたまに使われています。古い英語では法の種類ごとに異なる活用形があったのですが、時代を経るにつれてそれらが廃れていって、動詞や助動詞の過去形が代用されるようになりました。その結果、今でも独自の形として残っているのは、下の例文が示すwereだけです。

If I were you, I wouldn’t do that.  私があなたなら、そんなことはしないだろうに。

I wish I were a bird. 私が鳥であれば良いのに。

助動詞の遠隔形

「もし…なら、~だろうに」を意味する叙想法遠隔の条件文において、通常は条件節(if 節)には動詞の遠隔形(過去形)が、主文(帰結節)には助動詞の遠隔形(過去形)が使われています。条件節が動詞の遠隔形を用いて現実とは反対の仮想の世界を表している以上、条件節の内容を受ける主文も当然現実とは反対の仮想の世界を表すので、助動詞の遠隔形が使われるわけです。ただし、助動詞の遠隔形は上で示したwould以外にもあります。それらの例文を以下に示します。

If I missed the picture, we should have to wait for a whole week to see it again. もしその映画を見損なったら、今度それを見るのに、まる一週間は待たねばならないだろう。

If I were a bird, I could fly to you.  もし私が鳥であったら、君のところに飛んで行けるのに。

If I had money, I might go abroad. もし私にお金があれば、外国に行くかもしれない。

このように助動詞の遠隔形would、should、could、mightは、叙想法において現実とは反対の仮想の世界を表しますが、その個別の意味については叙実法で用いられる助動詞will、shall、can、mayの用法に従います。それらの詳細については、前回のブログ記事「未来と助動詞」を参照してください。

婉曲表現

助動詞の遠隔形における重要な表現として、婉曲表現があります。例文を見てみましょう。

Will you open the window? 窓を開けてもらえますか?

Would you open the window? 窓を開けていただけますか?

遠隔形は心理的距離を置く形ですが、それを用いて相手との距離を置く遠まわしな表し方露骨にならないような言い方丁寧な婉曲表現が可能になります。したがって、willを使った上の例文よりも、その遠隔去形である Wouldを使った下の例文の方が、丁寧な依頼の仕方になっています。

as if構文

「あたかも~ように」を意味する「as if+叙想法遠隔」の構文は、よく見かける構文なのでこれを解説します。

He talks as if he knew everything.彼は何でも知っているような口のきき方をする。

この例文では、実は条件節を受けて結論を述べる帰結節が省略されています。省略せずに全体を示すと、以下のようになります。

He talks as he would talk if he knew everything.彼は何でも知っているような口のきき方をする。

つまり、asは様態を表す接続詞なので、「もし彼が何でも知っているなら、そう話すだろうと想定される様態で、彼は話している」というのが、この例文が本来意味するところです。また、この例文では「He talks」が主文なので、主文と帰結節は別々であり、法も一致していません。つまり、主文は叙実法ですが、帰結節は叙想法になっています。

叙想法遠隔完了(仮定法過去完了)

叙想法遠隔完了(仮定法過去完了) は過去の事実に反する仮想を表わし、動詞は「had+完了形」(過去形完了形)を用いますが、時制はあくまでも過去です。 要は、叙想法遠隔完了は完了形(完了相)を使って、叙想法遠隔の時制を現在から過去にシフトさせているのです。それ以外については叙想法遠隔の用法に準じるので、特に難しい点はありません。

If you had left earlier, you would not have missed the bus. もしもっと早く出発していたら、あなたはバスに乗り遅れなかっただろうに。

If I had not helped him, his business would have failed. もし私が援助しなかったら、彼の事業は失敗しただろう。

If I had been you, I would have broken up with him. もし私があなただったら、彼とは別れていただろう。

これらの例文が示す条件文では、条件節(if 節)に「had+完了形」が、主文に「助動詞の遠隔形(過去形 )+ have + 完了形」が使われています。なぜなら、条件節の時制が過去なので、それに対応する主文の時制も助動詞の遠隔完了形を用いて過去にする必要があるからです。

助動詞の遠隔完了形

現在を表すwouldshouldcouldmightの時制を過去にシフトさせるには、やはり完了形を用います。それゆえ、主文には「助動詞の遠隔形+ have + 完了形」の形式が使われるわけです。 ところが、上述のように、助動詞の遠隔形であるwouldshouldcouldmightが示す時制は現在です。伝統的な英文法がそれらをすべて助動詞の過去形と呼んでいるのにもかかわらず、 時制はあくまでも現在なのです。 それゆえ、ここにも伝統的な英文法の用語の不適切さが現れています。

ところで、下の例文のように、条件節と主文の時制が異なる場合があるので、注意が必要です。

If I had gone to the party last night, I would be tired now. 昨夜パーティに行っていたら、今ごろぼくは疲れているはずだ。

この例文では、条件節が叙想法遠隔完了なので時制は過去です。一方、主文は叙想法遠隔なので時制は現在ですが、このことは文尾にnowがあることからもわかります。そして、叙想法遠隔完了が過去の事実に反する仮想を表すことから、実際には「ぼくは昨夜パーティに行かなかった(I didn’t go to the party last night.)」のであり、その結果、「今ぼくは疲れていない(I am not tired now.) 」という事実がこの例文の背後に隠れているわけです。

以上のように叙想法遠隔完了は条件文でよく用いられますが、もちろんそれ以外でも使われます。また、主文の助動詞もwouldだけに限られません。以下の例文を見てください。

I wish he had been with me then. あの時、彼が一緒にいてくれたらなぁ。

If I had known about it, I could have done something. (あの時)それについて知っていたら、何かできたかもしれないのに。

may have said some bad words. 私は何かまずいことを言ったかもしれない。

He must have thought I was so shy. 彼は私がすごく内気だと思ったに違いない。

叙想法における未来とは何か

伝統的な英文法では、仮定法(叙想法)の種類に仮定法未来を含めていますが、これは不要な分類です。なぜなら、上述のように、叙想法原形(仮定法現在)が現在や未来に関する不確実な想像を表すからです。叙想法原形(仮定法現在)が未来のことも表す以上、わざわざ仮定法未来というカテゴリーを別に設ける必要はがあるのでしょうか。そもそも、仮定法未来が表す未来とはどういうものなのでしょうか。これらの問いに答えるべく、これから仮定法未来の用法を具体的に検証していきます。

「If + 主語 + should + 動詞の原形」

伝統的な英文法では、「If + 主語 + should + 動詞の原形」の条件節によって、現在・未来において容易に起こりそうもないことを述べる形式を仮定法未来の用法の一つに数えています。そして、仮定法未来は仮定法現在よりもさらに強い仮想を表すとしています。仮定法未来という名称のことはさて置き、先に「If + 主語 + should + 動詞の原形」の例文を見てみましょう。

If you should get full marks, I would treat you. 万一君があのテストで満点を取ったら、私がおごってあげるよ。

If you should meet him, tell him to write to me. 万一彼に会ったら、私に手紙をくれるように言ってください。

What would(will) you tell him, if he should come? 万一彼が来たら、君は彼に何を言うつもりだ。

Nothing would(will) stop us (now), even if the reports should be true. たとえ万一その報告が本当でも、何ものも我々を阻止することはできないのだ。

I shall have to go, even if people should laugh at me. たとえ万一人怖が私を嘲笑するようなことがあっても、私は行かねばならぬ。

これらの例文が示すように、「If + 主語 + should + 動詞の原形」は、主語の意志とは無関係に未来の可能性が低いことを表し、「万一、~するようなことになれば」という意味になります。そして、主文には「would(should、might)+ 原形動詞」の他に、叙実法(直説法)や命令法も用いられています。ただし、4~6番目までの3つの例文が示すように、叙実法の助動詞であるwillやshallを主文に用いるのは、主文の主語の行為が条件節が表す内容に左右されないときであり、その場合は主文を条件節の前に出すのが普通です。

以上の「If + 主語 + should + 動詞の原形」に関する説明自体はそれで良いのですが、これを仮定法未来と呼ぶのはナンセンスです。そもそも想像仮想という言葉自体が蓋然性を含む概念です。そして、前回のブログ記事「未来と助動詞」で述べたように、蓋然性とはある事柄が実現するか否かの確実性の度合いであり、未だ来て(起きて)いない未来に対する確実性の度合いでもあるので、未来に関する概念です。それゆえ、話し手の想像を表現する叙想法原形(仮定法現在)と話し手の仮想を表現する叙想法遠隔(仮定法過去)は、共に現在時制において未来のことを表します。このように叙想法原形か叙想法遠隔を用いて未来のことを表現できる以上、わざわざ 仮定法未来というカテゴリーを新たに設ける必要はないわけです。 それでは、「If + 主語 + should + 動詞の原形」は想法原形と叙想法遠隔のどちらに属するのでしょうか。

叙想法原形 or 叙想法遠隔

「If + 主語 + should + 動詞の原形」のshouldは、神の意志を示す助動詞shallの遠隔形(過去形)であり、shallの蓋然性は100%です。これが遠隔形のshouldになると、現実から遠く隔てられた状態を表すので、蓋然性は当然低くなります。そして、この蓋然性が低いということから、「万一」という未来の可能性・実現性が低いことを示す意味が出て来るわけです。このように「If + 主語 + should + 動詞の原形」は、遠隔形のshouldを用いることから、叙想法遠隔(仮定法過去)に属すると見ることができます。

けれども、叙想法遠隔(仮定法過去)は現実とは反対の仮想を示すので、その蓋然性は0%です。これに対して、「If + 主語 + should + 動詞の原形」のshouldの蓋然性は0%ではなく、「万一」というレベルなのでわずかですが蓋然性はあります。この蓋然性があるという点では叙想法原形(仮定法現在)も同様で、それは現在や未来に関する不確実な想像を表すので、不確実とはいえ蓋然性はあります。その意味では、「If + 主語 + should + 動詞の原形」は叙想法原形に属するとした方が良いかもしれません。

しかし、いずれにしても、「If + 主語 + should + 動詞の原形」が仮定法未来に属すると考えるよりは、はるかに妥当性があります。仮定法未来という名称は、学習者を迷路に誘うだけで、百害あって一利無しです。即刻、その使用をやめるべきだと思います。

shouldの意味の由来とhad better

上でshould が「~すべき」という意味を持つと述べましたが、それはなぜでしょうか。shouldの叙実法における形であるshallは神の意志を示すので、それは絶対に実現しなければならない義務をも表します。しかし、その絶対的な義務は、shallが遠隔形のshouldになれば蓋然性が低くなるので、当然弱まります。それゆえ、shallがshouldに変わると、意味的にも弱まって「(絶対に)~しなければならない」が「~すべき」となるのです。

ところで、「~すべき」とか、「~した方が良い」という意味を表す言葉には他に、下の例文が示すhad betterがあります。では、これとshouldはどう違うのでしょうか。

You had better give it up.  君はそれを諦めた方が良い。

shouldに比べると、had betterはより強制感を伴う高圧的な言い方になります。それゆえ、実際の会話で用いるのは避けた方が無難です。これに対して、shouldはshallの遠隔形であり、shallは神の意志を表すので、shallがshouldになると、「神様がそうしろと言っているのではないでしょうか」という婉曲的な表現になります。「~すべき」という意味だけを見ると、shouldは強い表現だと思いがちです。けれども、実はshouldは穏やかで角が立たない表現であり、ていねいな言い方になります。実際、私は英語を習っていた米国人から、had betterではなくshouldを使うように勧められたので、今でもそうしてます。

「If + 主語 + would + 動詞の原形」

「If + 主語 + would + 動詞の原形」は、主語の意志を表す場合に用います。これは、wouldの叙実法における形willが主語の意志を表すことからすれば当然であり、「(主語が)~しようと思えば」という意味になります。そして、主文の動詞は「If + 主語 + should + 動詞の原形」と同様に、どんな形式でも用いることができます。

けれども、「If + 主語 + should + 動詞の原形」と違って、「If + 主語 + would + 動詞の原形」には叙想法原形と同様に不確実な想像を表す用法と、叙想法遠隔と同様に現実と反対の仮想を表す用法の2つがあります。以下の例文を見てください。

If you would join in our party, we should(shall) be most delighted. あなたが私達のパーティーにおいでくださる(かどうか私にはわからないが、もしそう)なら、これ以上の喜びはありません。

If he would not pay the money, you should have called the police. 彼がその金を払おうとしなかった(かどうか私にはわからないが、もしそう)なら、あなたは警察を呼んでいたでしょう。

これらの例文は、話し手の不確実な想像を表しています。これに対して、以下の例文は話し手の現実に反する仮想を表しています。

I could go, if I would (go).  私は行こうと思えば、行けるのだ。/行きたくないから行かない。

He might get it, If he would (get it). 彼はそれを手に入れようと思えば、手に入るかもしれない。/手に入れたいと思わないから、手に入れないだろう。

With all these advantage, you could get to the top of your class, If you would. これだけの利点を持っているのだから、君にやる気があれば、クラスで一番になれるのだが。/やる気がないから、なれないのだ。

以上、いずれの用法においても、「If + 主語 + would + 動詞の原形」は時制は現在です。これをなぜ仮定法未来と称するのでしょうか。wouldも形としては助動詞の遠隔形(過去形)であり、仮定法未来という名称は完全に意味不明です。

「If + 主語 + were + to不定詞」

伝統的な英文法は「If + 主語 + were + to不定詞」を仮定法未来に属すると捉えて、「If + 主語 + should + 動詞の原形」や「If + 主語 + would + 動詞の原形」よりもさらに実現性が低く、到底ありそうにない仮想を表すとしています。しかし、これはbe動詞の遠隔形were現実とは反対の仮想を表すから当然です。これこそ叙想法過去に属する用法なのですが、なぜ伝統的な英文法はこれを仮定法未来の範疇に入れたのでしょうか。

それは、ブログ記事「英文の構造解析の要諦Ⅲ-準動詞」で述べたように、「be動詞+to不定詞」が「まさに~せんとする」という意味を表すからです。つまり、「be動詞+to不定詞」は、to不定詞の内容が示す未来の状態に向かって進んで行く様を表すので、伝統的な英文法はこれを仮定法未来に分類したと思われます。しかし、「be動詞+to不定詞」の意味さえ知っていれば、これを叙想法遠隔の一類型として処理できます。仮定法未来という文法用語はまったく必要ありません。

If you were to become a prime minister, what would you do? もしも首相になったら、どうしますか。

If anything were to happen to him, the family would have no source of income. もしも彼の身に何か起こるなら、家族は収入源をなくすだろう。

What should I tell him, if he were to come to life again? もしも彼が生き返ったなら、私は彼に何と言うべきか。

これらの例文が示すように、「If + 主語 + were + to不定詞」の主文には「would(should、might)+ 原形動詞」が用いられます。また、以下の例文が示すように、口語では主語に応じてwereの代わりにwasを用いることがありますが、接続詞を使わない倒置文においてはwereが使われます。

If this collection was to be sold, it would fetch a lot of money. この収集を売れば、大した金になるのだが。

Were he to see you (=If he were to see you), he would be surprised. もしも彼が君に会うことになったら、驚くだろうに。

以上、伝統的な英文法が仮定法未来に属すると見なす3つの用法を検討してきました。しかし、どれも叙想法原形か叙想法遠隔で片付くものであり、仮定法未来という範疇を設ける必要性は全然見当たりません。これら3つの用法については、as ifのように叙想法を使った一種の構文として捉えるのが最も適切だと思います。

「時制とアスペクト」から「未来と助動詞」を経て本記事まで3回に分けて、時制と叙想法の関係を助動詞を絡めながら解説してきました。時制と叙想法の関係は、ここまで見てきたように英文法の用語が不適切なために、非常にわかりにくいものになっています。実際、私もこの部分でつまづき、いろいろな本を読んで研究を重ねながら、ようやくここまで整理することができました。いかがだったでしょうか。これらのブログ記事が読者の方々の英文理解に少しでも役立てば幸いです。

これまで見てきたように、英文法はその用語を是正するだけで、かなりすっきりして理解しやすくなります。なぜなら、英語はそもそも論理的な言語だからです。それゆえ、今でも世界語として通用しているのです。確かに19世紀に大英帝国が世界中に植民地を広げたという歴史的な背景はあります。しかし、もし英語が非論理的なわかりずらい言語であったならば、現在まで世界語の地位を維持できなかったでしょう。けれども残念なことに、文法用語のネーミングが不適切なために、英語の論理的な構造を正しく捉えることが難しくなっています。

また、時制とか法という基本概念がしっかり説明されていないことも問題です。これらの基本概念を押さえることなしに、英文の正しい解釈はありえません。その意味で、時制と法と並ぶ基本概念である態(Voice)を理解することは非常に重要です。そこで次回のブログ記事では、この態(Voice)について解説します。乞うご期待!!

関連記事

行政書士サービス

翻訳サービス

最近の記事 おすすめ記事
  1. 受動態と完了形

  2. 叙想法(仮定法)と遠隔形(過去形)

  3. 未来と助動詞

  1. 登録されている記事はございません。

カテゴリー

検索

TOP
TOP